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黄金色の愛情 (2)

「来ませんね…」
 木々の間から照りつける日差しの中、コウは自宅の前で立っていた。
 聖が「明後日」と言っていたのが今日だ。いつもなら来る時間なのに姿も、いつも感じる、あの明るく純粋な気配もない。
 やがて、風になびく長い髪を鬱陶しく思いながら、待ちぼうけを食らっている自分が滑稽に思えて来た。
 なぜ、私はあの子を待っているんでしょうか…。
 そんな風に思って苦笑した。
「忙しいということにしておきましょうか」
 独り言を風に遊ばせて中に入ろうとして、ふと思い出した。聖が言っていた社のことを。
 コウは少し考えて、腕組みをしたまま坂道を歩き出した。社を言い訳に聖に会いに行こうとしていることに、コウ自身は気づいていない。
 聖の家の裏にある社には、古い龍がいると言う。この地域をかつて動乱に突き落とした龍。
 コウは実際に社も龍も見たことはないが、このあたりには何となく不穏な雰囲気が漂っているのは来た当初から感じていた。
 感じていたと言うよりは、感じたからこの地に来た、と言った方が正解かもしれない。その不穏な気配はわずかなもので、正体は未だつかめない。強くもならないそれに対して、コウは自分の気にしすぎなのかと思い、この地にいる必要がないように感じてきて離れようと考えていた。
 夏の日差しの下、慣れた道を歩き聖の家に向かう。時々集落の人間に会い軽く会釈した。豊かな土地ではないが、民たちは穏やかな日々を過ごしている。
 まだコウの噂は流れていないようで、みな笑顔で挨拶をしてくれた。しかし中にはぎこちない笑顔の者もいる。きっと何かしらの話を聞いたのだろう。
 コウは素知らぬ顔で歩いて聖の家に急いだ。
 額に汗が滲んで来たころ、集落で一番大きな屋根が見えてきた。木造の屋根はいくつも連なり、何代もの間ここで栄えてきた象徴のように見えた。
 ちょうど、下働きの童が見えたので、コウは声をかけた。
 童が言うには、聖は今日一日姿を見せていないと言う。いつもは掃除など率先して行っているという聖にしては珍しいことで、他の使用人たちも不思議に思っているとのことだった。
 コウは少し考えた後、聖の暮らす棟に向かった。
 屋敷といってもいいような棟を与えられている聖は、いつも「大きすぎて逆に迷惑です」と、自分の部屋のことを言っていた。たくさんの使用人に囲まれて暮らすのが、他の民に申し訳ないと。
 しかし、ここの領主は良心的だとコウは思っている。私腹を肥やすくだらないものがいる中、自らも農作業を行い、民と交流を図り身近な存在でいることを何よりも考えいている。
 定住しないコウはあらゆる場所を見てきたが、そんな主は珍しいと感心したことを覚えている。
 そんな親の元で育った聖は、やはり人の役に立ちたいと心から思う少女に育っていた。肌が日焼けしているのは、ぬくぬくと家の中にいるのではなく、使用人と一緒に掃除をしたり、畑に出たり、遊んだりしている結果だった。
 そんな聖が部屋から出ないとは…また病気にでもなったのですか?
 痩せているせいか天然のものなのかは分からないが、凹凸のない聖の姿を思い出してコウは小さく笑った。 
 聖の棟の入り口に立ち、引き戸を開ける。すぐに童が駆け寄ってきてコウを確認した後、深々とお辞儀をして通してくれた。
 いくつか部屋があり、聖は寝所にいると言う。さすがに寝所へ入るのは気が引けるので、聖が出てきてくれないかと童に尋ねたが、誰が声をかけても出てこないと言われ、仕方なく寝所の戸の前に立った。
「聖?私です」
 部屋からは何も返事がない。
「聖…。いるのでしょう?返事くらいしてはくれませんか?」
「先生…?」
 帰ってきた声にコウは違和感を感じた。いつもの張りのある声ではなく、涙を含んだ声だったからだ。
 聖が泣いたところなど見たこともないし、こんな悲しみのこもった声ももちろん初めてだった。
「聖。何かあったのですか?」
 薄い戸を一枚はさんで、コウは優しく問う。しばらく沈黙があった後、
「私を…先生に見られたくない…怖いんです」
「怖い?」
 コウは意味が分からず聞き返す。また沈黙があって、
「私のことを嫌いになりませんか?」
 コウは聖の言いたいことが全く分からない。聖は一体何を見られたくないのか。嫌われると思ってしまうほど、何かに怯えている。
 それならば。
「私があなたを嫌う理由があるとは思えないですが」
 聖には見えはしないが、コウはにっこり笑い、できる限り、優しく穏やかに返事をした。
「じゃあ、その戸を開けて下さい」
 聖の声がして、一呼吸置いたあと、コウは静かに目の前を遮断していた戸を開けた。
 聖は、左半身を戸に向けるように座っていた。長い髪が緩やかに弧を描き床に散らされている。
 一見したところ、何も変化はない。
「先生。今日は約束を破ってごめんなさい」
 聖はコウを見ないまま、か細い声でコウに謝った。コウは戸のそばに腰を下ろす。
「それは別にかまいませんが…何があったんですか?」
 コウの言葉に、聖は黙り込む。そして、聖の目から静かに一筋の涙が流れた。
「……私、お嫁に行くんです」
「お嫁…」
 いきなり告げられた言葉は、年頃の聖にとっては何ら不思議なことはない。親の決めた相手と夫婦(めおと)になることが当たり前の時代で、誰もが疑わずに嫁いでいく。
 聖が泣くのは、よほど相手が悪いのか。コウは単純にそう考えていた。
「そうですか。輿入れはいつですか?」
「ひと月後。私の18歳の誕生日です」
「もうすぐですね」
「はい。私はこれから婚姻のために身を清めなければなりません。ですから、先生に会えるのも今日が最後かと思っていました。ですが。会いに行くことが出来ずに…ごめんなさい」
「身を清める?」
 よほど高貴な相手に嫁ぐのか。
「どこに、お嫁に行くのですか?」
「とても遠くです。もう二度とお父様やみんなに会うことも叶わなくなります。…先生?」
「なんですか?」
「私は、綺麗ですか?」
「はい?」
 聖の言葉にコウは虚を突かれた。
「私は綺麗な姿をしていますか?」
 聖の声が震える。涙が絶え間なく流れ、雫が聖の形の良い顎を伝って膝に落ちる。
「貴女は、綺麗ですよ。姿もですが、私は貴女の心が一番綺麗だと思っていますよ」
「ありがとう…ございます…」
 コウの言葉に、聖は右手で口元を覆い嗚咽を堪えた。
 その手に、コウの視線は釘付けになる。滑らかな日焼けをした肌だった聖の右手に、龍の模様が刻まれていた。手の甲にははっきりと龍の顔が見えて、コウは息を呑んだ。
 思わず立ち上がって聖の前に回り込み、さらに目を見開くことになる。
 いつも生き生きとしていた大きな瞳は涙に濡れ、幾筋もの後を頬に残している。しかしそれよりもコウが驚いたのは、右目を縦断するように、黒い模様があることだ。頬から額に向かって一続きの模様は螺旋状で幾重にも重なっている。それは、遡る水のような。
 先ほど見えた右腕には、龍の模様。肩から手の甲にかけて一匹の龍が聖の腕を這うように描かれていた。
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