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カナリア。

 古い町並みに馴染むようにその店は存在する。紫の暖簾の店は「聖堂(ひじりどう)」という。
 骨董屋だが少し変わった品を扱うお店だ。
 長い髪を後ろで結った着物姿の、やさしい目元の柔和な雰囲気の男がここの店主。
 闇が深くなるころ、店主は店の前に立って月を見上げていた。


 元々車も入れないほどの細い路地、街灯もちらほらとしかなく、暗闇に浮かぶ月と星が良く見える。
 店主は穏やかな顔で月を見上げ、その顔にふと笑顔を見せる。それは幻想的な月明かりに映し出されて美しさを増していた。
「さて、今日はどこまで行ったのですかね。あの跳ねっ返りは」
 音もなく、店主は店を離れて歩き出した。人気のない路地にあるその姿は妖しさを持って、他の人間が見たらこの世のものじゃないと思うかもしれない。
 ゆっくりと、空を見上げて店主は歩く。着物のすそを優雅にたゆたわせて、静かな足取りで歩いていたのがふとある町谷の屋根を見て止まった。
「ここにいたのですか?」
 にっこりと弧を描いた唇からこぼれた言葉に、屋根の上にいた者が視線を店主に止めた。
 鮮やかな金色の髪の毛を緩やかな夜風になびかせて、大きな黒い瞳で店主を見下ろしている姿は、若い女性の姿をしている。細い手足と、薄い桃色の羽のような軽やかな服。この世の者ではない可愛らしい者に向かって、店主は片手を差し出して微笑んだ。
「帰りますよ。今日はこの後雨が降りますから」
「……帰りたくない」
 見た目のままの可愛い声で、返され、店主は小さくため息をついた。
「琴(こと)、わがままを言わないでください。良い子にしてはくれませんか?」
 琴と呼ばれた女性は、ふん、と顔を店主から背けて夜空を見上げた。
 店主は眉根を寄せて、それからふわっと体から光を発し、路地から姿を消した。
「たまには、夜空を見るのも悪くはないですね」
 琴のすぐそばで店主の声がした。慌てて顔を声のほうに向けた琴は、その大きな目をさらに開いて言葉を失った。
 さっきまで自分が見下ろしていた男がすぐ隣で座っている。何事もなかったかのように、瓦屋根に腰を下ろして、琴と同じように空を見上げていた。
 琴とは対照的な店主の黒髪も、夜風にさらりと揺れる。端正な顔が月明かりに浮かんで、俗世の憂いなど気にしないような神々しいものに見えた。
「どうして、私がここにいること分かったの?」
 店主の行動に驚きながらも、琴は尋ねる。それに優しげな目を細めて店主は笑った。
「私は聖堂の店主ですよ?店の中のことを知らないなんてありえません」
 余裕の笑みで言われて、琴はそれもそうかとあっさり納得した。琴は長い間、聖堂にいる。もちろん琴よりも古いものはあの店にはたくさんいるが、琴はいつも店主のすぐそばで過ごしてきたから、この男の得体の知れない不可思議な行動も納得できる。
「それで、なぜここにいるのですか?」
 店主が懐からそっと小さな包みを出し、それを琴に差し出してにこっと笑う。
「これ、何?」
 怪訝な顔で見る琴に、いたずらっ子のような表情で店主は返した。
「私のお気に入りの飴です。いかがですか?」
 こんな屋根の上で、何を言ってるんだと、琴はしかめっ面で首を横に振った。
「そうですか、美味しいのに…」
 少し残念そうに目を伏せた店主が、包みを開けて飴を口に入れた。そして、そのまま空を見上げてつぶやく様に言う。
「もう何年になりましたか?」
「………100年くらい」
「長いですね」
「うん。でも、まだいたい」
 琴の声が少し震える。空を見上げていた顔を伏せて、膝を抱えて黙り込んだ。店主は、琴の金色の髪の毛をそっと撫でた。穏やかな顔で笑いかけ、何度も何度もその柔らかい髪を撫でてやる。
 琴の体がわずかに震える。
「貴女が、私の元を気に入ってくれているのとても嬉しいですよ。私も貴女の歌が大好きですし、それを聞けなくなるのは悲しいです」
 店主の言葉に琴は顔を上げて、涙の溢れる瞳で見た。
「じゃあ私をお店に置いてよ。歌なら毎日歌うし、他に何かできるなら手伝うから」
 切羽詰ったような声に、店主が眉根を寄せて、ふるふると首を振った。
「それはできません。お客様が貴女を選んだんですから、貴女が私の元を離れるのは運命(さだめ)なんです」
 優しく諭すような店主の声に、琴はぽろぽろと涙を流した。
「でも、だからって…いまさら異国はやだ。そんな遠いところには行きたくない」
「そうですね。確かに遠いですねぇ。ですが、そんなに遠くはないですよ」
 遠いといったすぐ後に、遠くないという男の顔を、琴は虚をつかれた顔で見た。店主は楽しそうにクスクス笑って、琴の頬に流れた涙をその綺麗な指でぬぐった。
「私を誰だと思ってるんですか?聖堂の店主ですよ。貴女がどうしても寂しかったら、会いに行きますよ。ですが、あのお客様は貴女を必ず、大切にしてくださいますから、心配は要りません」
 にこやかな優しい瞳に、琴の泣き顔が映る。広い安心感を与えるその瞳を見つめ返した琴は、また新しい涙を浮かべて笑った。
「あなたって…いったい何者なの?」
「私ですか?店主ですよ。ただの」
 そう言って店主はまた空を見上げて、口の中の飴を、カリッ、と音をさせて噛んだ。
「あ、噛んでしまいました。もったいない…」
 独り言のように言って、新しい飴を懐から出して、琴に再び渡す。
「いかがですか?」
 琴は小さく笑って、店主の手から飴を受け取る。そして包みを開けて赤いそれを口に入れた。
「どうです?」
「…美味しい」
「でしょう?」
 そう言って笑った店主の顔は、いつも見る笑顔とは違って、子供のような笑顔だった。



 次の日。
 明るい太陽の下、聖堂から一人の客が出てきた。手には大きめの何かを持っている。重たそうにそれを抱え、車を止めてある場所まで少しよろめきながら歩いていった。
 その昔、神から加護を受けた歌姫がいた。その声は伸びやかで愛くるしく荘厳で、そして人の心を魅了するその声の主が宿った、カナリアの彫刻。いつも店主の座る椅子のそばに飾られていたそのカナリア。
 それを客は買っていった。
 これから自分の国に帰ると言っていた外国の客に連れられて、琴は聖堂を後にしたのだった。




 おわり
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