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死神の愛を。 (8)

 凛子の精神的な負担も癒えぬまま、今度はノエルが学校で怪我をしたとの事だ。
 階段を踏み外して、頭と背中を打ち、右腕を骨折したとシエルが話していた。
 それに、一週間ほど、ノエルは眠るのは怖いと言って駄々をこねているという。元々甘えん坊の傾向はあるが、寝ることを拒否したことはなく、シエルも倫子も戸惑っているようだった。
「アンリもそろそろ本気なんでしょうねぇ。いつまでもここにいる訳にもいかないでしょうから。夢は…単にあれの嫌がらせでしょうけど」
 店の中で、一人呟きながら店じまいをする。小さな照明だけを残して、暗くなった店内もなかなか幻想的な雰囲気がある。古い者たちはそれぞれに話をしたり、本来の姿になってくつろいでみたりと自由だ。
「私はこれから出かけますので、いい子にしていてくださいね」
 身支度を整えて、にっこりと笑ってそう告げると、ノエルの入院した病院へと出かけた。
 聖堂のある路地は、古くからの建物が並ぶ石畳の通りで、時間がさかのぼったような風景が広がる。着物姿の店主はそこにとてもよく馴染み、雅な立ち振る舞いも相まっていた。
 羽織のすそを風に遊ばせて、ノエルの好きなお菓子を持って面会に行く。周りが近代的な建物になって、店主は背の高い建物を見上げてため息をついた。
 空が汚(けが)れている。
 文明が栄え始めてから、店主は空を見上げる時はいつもそう思う。かつて、自分が自由に駆けていた空はもうないと思うと少しばかり寂しくなる。
「私もすっかり年寄りじみた考えになってしまって…」
 一人クスクス笑いながら、大きな病院に入った。総合受付でノエルの部屋を尋ねてそのまま向かう。
 色々なものを見ることのできる店主には、病院は好きな場所ではない。この世に未練を残して、常世に行くことができない者達の集まる場所であるため、耳を塞いでしまいたくなるほどの騒がしさがある。
 時々、話しかけてくる者もいて、店主は軽く触れて弔いの言葉をかけてやる。言葉を向けられた者は、それまでの黒くて濃い空気をはがされ、白くて淡い光に包まれて消えていった。店主はノエルの病室につくまで、片手間のように彷徨う者を常世に送った。
 病室の入り口のタッチパネルに触れ、ノエルの名前を確認してドアを開ける。白とパステル色で整えられた小児科の病室は穏やかな空気に包まれていた。
 白いシーツに埋もれるようにして、小さな体のノエルが眠っている。そのベッドの両側を守るようにシエルと凛子が椅子に座っていた。
「こんばんは、ノエルはいかがですか?」
「今は痛み止めも効いてよく眠ってます。わざわざ来てもらってすみません」
 シエルが立ち上がり、少し疲れた表情で店主に頭を下げる。凛子もそれに習って深々とお辞儀をした。
「凛子さんも大変でしたね。お体はいかがですか?」
「はい。何とか大丈夫です。ご心配おかけしました」
 白い顔を無理に微笑ませて凛子は長身の店主を見上げた。その顔にも疲れは色濃く見える。
 店主はそっと凛子の肩に触れ、癒しの言葉を紡ぐ。凛子の体から疲労感が和らいで気持ちも穏やかになっていく。店主は同様にシエルにも癒しの言葉を紡いだ。
 それから、ベッドに近づいて幼い寝顔を確認した。いつも桜色に染められた頬が今日は白い。長い睫毛が目元に影を落として痛々しさを増していた。
 額に散らばる髪を長い指でそっと撫でると、微かに瞼が震えたが起きる気配はないようだ。
 誰も何も言わず、病室に静寂が流れる。今日までの間、細かなことから、一瞬の判断が誤れば大きなことにつながるものまで、様々な事がノエルの身におきた。アンリが確実にノエルを狙っていることを、じわじわと思い知らせるように、周りを囲い間合いを詰め寄って来ているのが分かる。
 凛子の中の命のことは、アンリが直接手を下したことではないようだが、心労が一因であることは明確だった。
 ノエルを愛して大切にしている者の命を差し出す…ですか。
 店主の眉間に皺が寄る、目を伏せて思わず考え込んでしまった。以前、アンリが気まぐれのように提案したことを思い出しながら、店主は小さく首を振る。そんな馬鹿なことをするくらいなら、あの黒い死神の命を奪って、神殺しの罪を背負った方がよほど自分らしい。もう何も恐れるものなどないし、それで永久(とこしえ)の苦しみを背負ったとしても、それはそれで本望だ。
「僕達はどうしたら良いんでしょうか」
 シエルが震える声で独り言のように言葉を零れさせた。凛子は何も言わないが、俯いて両手をギュッと握り締めている。
「私が話をしましょう」
「…それで何とかなるのでしょうか」
 凛子が涙をためた目で店主を見上げた。それにやさしく微笑みながら返事をする。
「分かりません。ですがこれ以上は貴方がたも、ノエルも辛いでしょう?」
「それはそうですけど…ご主人」
 普段あまり見せない硬い表情の凛子が、一歩店主に近づき真剣な声で言う。
「貴方に何かあっても、私もシエルも、ノエルも、悲しいんです。それは理解していただけますよね?貴方がいたから私達は今ここにいることができます。これからも、私達のそばにいてください」
「そうですよ。貴方が何を考えているかは分からないですが、僕達は貴方が大好きなんですから」
 シエルは少しからからかうような言い方で、空気を和らげながらも、店主に向ける目は真剣だった。
 それに対して店主は少し目を見開き、それからふんわりと笑った。
「貴方がたに何か勘付かせるほど、私も耄碌したということですね。…分かってますよ。こんな私でも好きだと言って下さる貴方がたのためにも、まだ元気でいなくてはいけませんね」
 眠るノエルの顔を見て、その顔をさらに綻ばせる。まっすぐな大きな、信頼の瞳を思い浮かべるだけで、どれほど心が穏やかになるか、幸せになるか。
 貴女は知らないでしょうね、ノエル。
 綺麗な唇に笑みが浮かんで、それを見た二人はホッと息を吐いた。不思議な、何を考えているか分からない人物だが、シエルも凛子もこの男が好きだった。だから、先ほどの考え込む店主に本能的に不安を覚えた。
「今日はお二人は、このままここに泊まるのですか?」
 ふと、店主は二人を振り返って問う。
「はい。とりあえず、今日と明日くらいは二人でと考えています」
 シエルが凛子の肩を抱き寄せながら答えた。まだ体調が良くないだろう凛子だけに看病を任せられないのは理解できるし、ノエルにとってもそれがいいだろう。
「レイはどうします?」
「一度家に帰って、レイの留守番の準備をしてこようかと。一人にさせたことがないので心配ですが、さすがにここには連れてこれないので」
 凛子の眉根が寄せられた。その後、店主は一つの提案をする。
「では、私がレイを預かりましょう」
 にっこりと、明るい声でそう言った店主に、二人はきょとんとした顔を見せた。
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