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死神の愛を。 (10)

 深夜、聖堂の前に黒衣の男が立っている。
 どんよりとした雲の広がる空から現れた、漆黒のローブを躍らせ大きな鎌を手にした美しい死神は、闇と少しばかりの光を同時に持った不思議な存在に見える。
 青紫の瞳で、目の前の古い町屋を見つめ、それからその青白い顔にあどけない笑みを浮かべて、冷たい風を纏いながら店の中に入っていった。


「僕を呼びましたか?」
 書斎で本を読んでいた店主にそう言って、すぐそばに現れたアンリは、店主の顔を覗き込んで笑った。
「よく分かりましたね」
 店主は椅子に座ったまま、上目遣いにアンリを見てにっこりと微笑んだ。
「そりゃあ、僕の大好きなご主人のことですから。貴方の声はどこにだって僕に届きますよ。それが僕と貴方との絆であり愛なんですから」
 まるで古臭い口説き文句のような言葉に、店主はその整った顔に呆れと哀れみのような表情を浮かべた。
「お前は本当に……いえ、もう良いです」
「なんですか?僕の言葉にドキドキしたとか?」
 アンリの声が弾んだものになって、顔と顔が触れそうなほど近づいてくる。綺麗な顔を間近に近づけられているが、店主はそれにひるまず眉間に皺を浮かべて軽く睨んだ。
「ですから、私は男性には興味ありませんし、お前など問題外です。早く離れなさい」
 男にしては驚くほどの綺麗な手で、アンリの顔を押しやって立ち上がる。
「もー…。貴方は冗談が通じない人ですね」
 グイッと押された頬を押さえながら、アンリはつまらなさそうに店主にぼやいた。そのまま座り心地のいい椅子に腰をかけ、長い足を組むと少し首を傾けて店主に問うた。
「で、なんですか?わざわざ僕を呼ぶなんて。まだ諦めろとか言うんじゃないでしょうね」
「そうじゃありません。この間のことは本当なのか確かめたかったのです」
 慣れた手つきでお茶を入れて、アンリに振舞う。
「この間のこと?」
「ノエルの身代わりの件です」
 一瞬きょとんとしたアンリが思い出したのか、「あぁ」と声を出してニコッと笑った。
「誰か希望者がいたのですか?僕は嘘はつきませんよ。ですから、代わりの魂があればそれで手を打ちましょう」
 おいしそうにお茶を飲んで、店主に視線を向ける。アンリの正面に座った店主も、それを受け止めながら一口、お茶を口にした。
 少し、沈黙があった。店主の瞳になんともいえない感情が見える。躊躇うような、自分を責めるような、どうしようもないこの現状に苛立ちを抱えたような。
 アンリはその瞳にふと優しい笑みを浮かべた。
「何を悩むのですか?身代わりがあれば、あの子を救うこともできるのですよ?」
「それは分かっています。ですが、私の周りに大切でないものはいません」
「貴方は欲張りですね。あれもこれも欲しがっていては全部失いますよ。なんでしたっけ…この国のことわざ」
「二兎追うものは一兎をも得ず。ですか」
「そうそう、それです」
 明るく言われて店主はむっとした顔になる。そんなことは分かっている。でも納得などいくものか。
 誰がいなくなっても、店主にもその周りにも悲しみはやってくる。その悲しみには大きいも小さいもないはずだ。
 身代わりなど、私で良いのに。できないのが本当に苦しいですよ。
 いつの間にか、店主は苦虫を噛み潰したような顔でアンリを睨んでいた。
「ところで誰なんですか?その身代わりになる人」
「そこにいますよ」
「え?」
 不機嫌のあまり、突き放したように言った店主の視線の先には、一匹の犬がいた。
 アンリはしばし呆けたような間抜けな顔をして、その後長い睫毛に囲まれた目をこれ以上ないほどに大きく見開いた。
「はぁ!?嘘でしょ?犬ですよ?笑えない冗談はやめてください」
「冗談なものですか。レイはノエルを愛して大切に思っていますよ。それに、私が今ここでレイを人間に変えてしまえば問題ないでしょう」
「いや、しかしですね。僕は最初から対象は人間だと思って話をしていたんです」
 うろたえるアンリに、店主はニヤッと笑って言葉を返す。
「お前は人間だとは断言していませんよ。『ノエルを愛して大切に思うもの』とは言いましたけど」
 その言葉にアンリはぐっと言葉を詰まらせて、店主を恨めしそうに睨んだ。店主は大きな溜息をついて、レイを見つめる。
「お前はたかが動物と思うかもしれませんが、レイはノエルにとっても、ノエルの両親にとっても大切な家族です。いつも共に暮らし、愛情を向け、また向けてもらえる幸せを毎日感じて過ごしてきたのです。レイがいなくなるということは、あの子達にとって身を切られるようなものです。私も、レイが押し切ってくれなかったら、絶対に首を縦に振りませんでした」
 あの日。
 店主がレイを預かった日に、レイは店主の心に語りかけてきた。
『僕が身代わりになるよ』
 アンリの思惑を本能的に感じ、ノエルの身に何が起きているのかも察していたレイは、ノエルが入院したことで決心したのだという。昔、シエルに買われ、たくさんの愛情をもらって、レイは家族のために何かできないかと思うようになった。でもこの小さな体では何もできない。この感謝の気持ちを形にできないのが悲しかったと。
『だから、貴方の力で僕を人間にして。そして死神に僕を差し出して』
 店主が断るのも聞かず、レイは何度も何度も訴えた。もう10年近く、生きてきた。その間に、シエルたちからもらった愛情は自分には身に余るほどで、今ここで恩返しをしないと、もうできる機会がない。
 大きな黒い瞳は、決して鈍らず、店主を見つめ続けた。
「それに、私が根負けしたのです」
 レイを膝の上に抱き上げて、店主は優しい目で見た。レイもまた店主を見上げて、にっこりと微笑むように瞳を細めた。
「神は、嘘はつきませんよね?」
 ちらりと視線を投げられて、アンリは困惑した表情を見せていたが、やがて大きな溜息をついた。
「分かりましたよ。ここは貴方とレイの友情に免じて許して差し上げます。感謝してくださいよ。まさかこんな展開になるとは…僕は貴方と本気で喧嘩しても良いとまで思ってたのに」
「私がごめんですよ。もう年寄りですからね」
 小さく笑って、店主はレイの柔らかい体を抱きしめた。それを見たアンリが小さく笑う。
「そうですね、あの子に『じいじ』なんて呼ばれてるんですから。びっくりしました」
「良いでしょう?『じいじ』。結構気に入ってるんですよ」
 ニコッと微笑む店主はとても『じいじ』などといわれる年齢でない容姿だ。それがアンリにはおかしい。
「では、レイを変化(へんげ)させてください。僕も忙しいのでこれ以上はここにいると怒られます」
 アンリが真剣な顔で店主に言う。それを受けて、店主は小さくうなずいてレイを見下ろした。
「レイ。本当にいいのですね?」
 レイは返事の変わりに店主の細い指を舐めた。
 それを、レイの最終の気持ちだと確認した店主が、ふわりと風を纏って、その形の良い唇から不思議な言葉を紡ぐ。次第に店主の体が光を生み、まばゆい白いそれが書斎の中を照らし出した。レイは店主ごと光に包まれ、視界いっぱいに光が生まれたときには、長い手足が完成し、滑らかな白い肌と、栗色の柔らかいくるんとした髪の毛、大きな黒い瞳、年は10歳前後の姿の男の子に変化していた。
「うわ、綺麗な子…」
 目の前で見ていたアンリが思わずそう呟くほど、愛らしい男の子が店主の膝の上で抱かれていた。
「終わりましたよ」
 ぼんやりとする人間のレイの額髪を、店主の長い指が掬うと、レイは店主を見上げて、
「ありがとうございます」
 と、可愛らしい声で言って微笑んだ。まだうまく力が入らないのか、震える手で店主の細身の体を抱きしめて涙を流した。
「これからは僕の代わりに、ノエルを愛して」
 店主の肩口に顔をうずめて、レイは静かに言った。それを聞いて店主は何も言わずにその体を抱きしめて、髪の毛を撫でた。
 レイが店主の顔を見つめると、お互い何も言わないまま頷く。そして再びレイは店主の膝の上で抱かれるような格好になり、目を閉じた。
「レイ。今日で一旦お別れです。ですが必ず戻って来るのですよ。今度は、人間として戻ってきてください。楽しみにしていますからね」
 店主の声に、うっすらと目を開けて、レイはその愛らしい顔を微笑ませた。
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