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最愛の実。

 紫の暖簾が、冬の冷たい風に踊る店は聖堂という骨董品を扱うお店。店主は長い髪の毛と和服、優しげな目元が印象的な柔和で端整な容姿の男だ。
 今日もお客はなく、店主は温かなお茶を飲んでまったりと店の中のお気に入りの椅子に座っていた。
 店の品たち。古く何かしらのいわくのある者達も、のんびりとした空気に寛いで眠っている者や、近くの者と話をしていたり、それぞれが時間をつぶしていた。
 店主はその中で古い書物に目を通している。思いのほか興味が沸いたのか、真剣な顔で読む店主はすっかりその世界に入り込んでいた。いくらか読み進めて、視線はそのままに手だけでお茶の入った湯飲みを取ろうと、テーブルの上を探ると、その細い指先に何かが触れた。
「ん?」
 いつも綺麗に片付いているはずのテーブルの上で触れたそれは、つるんとした感触の柔らかなものだった。店主は思わず書物から視線を外してそれに向けた。
「…なんですか、これ」
 赤い、とにかく赤い実が一つ。コロンと転がっていた。艶やかな赤い掌に乗る程のそれは、世間一般に見る林檎やトマト、苺とも違って見える。赤い果物でも、野菜でも、店主が今まで見てきたものとは異なる存在に見えた。
 しばらく、そのまま眺めていた店主だが、どうにかするにも一度は手にしてみなければならないので、細い掌にそれを乗せた。見た目よりもずっしりと重い赤い実は、柔らかな聖堂の照明を反射して輝いて見える。そして、少し力を入れると潰れてしまいそうなほどに柔らかかった。
 とりあえず店主は、目の高さまで手を持ち上げて、横から後ろからも眺めてみる。
「こんなもの買った覚えもないのですが…」
 ぶつぶつと言いながら、更に近くで見ようと思い、鼻先までそれを近づけた時。
 ぷつっ。と、小さく何かが弾けるような音がした。赤い身の表面が薄く咲け、その下の実がわずかばかりに顔を見せた。中は更に真っ赤で、血のような色をしている。店主が小さく驚く前で、赤い実から芳醇な香りが溢れてきた。甘いような酸味のあるような、花のような豊かな香りが、ほんの1センチほどしか裂けていないところから立ち上り、店主の鼻腔から肺に流れ込む。
 それに、店主は軽く眩暈を起こした。しかしそれが軽かったのは一瞬だけで、眩暈は一気に激しくなり、店主は座っていることもできずに、ひじをテーブルについてなんとか倒れないように体をもたれかけた。その拍子に、持っていた実が掌から転がり落ちて、硬いテーブルの上に落ちた。落ちた瞬間に、実は形をなくすほどに弾けてしまい、さらに店主の意識を遠のかせる香りがあたりに立ち込めた。




 店主の目の前に、一人の少女が立っている。長い髪の毛をゆるく三つ編みにした青い髪飾りが似合う少女。小柄で痩せているのせいか、体つきはまだ幼くて年よりも若く見える子が、店主に向かって笑いかけている。
 穢れなど知らぬ瞳は大きくて愛らしい。いつも笑顔で泣き言など言わなかった芯のある性格の少女が、ゆっくりと店主に向かって歩いてきた。
「先生」 
 聞き慣れた、でも懐かしいその声に店主は大きく目を見開いて、それからふんわりと微笑むと、自分よりもはるかに小さいその背丈に合わせるように身をかがめて、大きな瞳を覗き込んだ。
「なんですか?」
「先生は、私のことが好きですか?」
「え…?」
 いきなり投げられた質問に思わず言葉が詰まってしまう。それに少女は眉根を寄せて首を傾げた。
「私のこと。嫌いですか?」
「いえ、そうじゃなくて…どうしたんですか、急に」
「言って欲しいんです」
 少女は何のためらいもなく、店主の手を取って自分の頬を摺り寄せた。温かくて滑らかな肌の感触に店主は思わずあせりを感じて手を引っ込めた。
「何かおかしなものでも食べたのですか。いつもと違いますよ」
「私はいつもと同じです。ですから、先生の気持ちをお聞かせください」
 少女が真剣な顔で店主に訴える。大きな瞳に涙を滲ませて、小さな手が胸の前で合わされると、自分がとんでもなく悪いことをしているような気分にさせられた。
 しばらく考えていた店主だが、大きな溜息をついて、懇願するような瞳に向かって微笑んだ。
「何をそんなに不安になっているのですか?私は前にも言ったとおり、あなたのことをお慕いしておりますよ。だから安心してください」
 そして、少女を胸の中に引き込んでその髪に優しく唇を寄せた。
「私の気持ちはずっと変わりません。私には聖(きよ)、あなただけです」





 甘い香りが薄れて行き、店主はふと目を覚ました。
 そこはいつもの聖堂で、自分はいつもの椅子に座ってテーブルに突っ伏したような格好だった。
 まだ少し酔ったような感覚があったが、起き上がって頭を振ると、はっきりとした視界に何かが映った。黒に近い青の髪の毛の間から見える青紫の瞳。青白く端整な、それでいてどことなくあどけない顔。漆黒のローブに薔薇の蔦が絡まる大きな鎌。この上なく楽しそうな顔の死神が、テーブルを挟んで店主の前にいた。
 それを見た瞬間に、店主の中で全ての事柄が結びつき、これ以上ないほどに整った顔の眉間の皺が寄った。
「アンリ。お前の仕業でしたか」
 とてつもなく不機嫌な声に、アンリは肩を震わせて笑いを堪えて、楽しげな瞳で店主を見た。
「最愛の実っていう面白いものが手に入ったから、ご主人にプレゼントしようかと思いまして」
「最愛の実?」
「はい。自分の最愛の人に会える実だそうです。いかがでしたか?」
 からかうようなアンリに、店主は大きな溜息をついて睨みつける。
「いかがも何も、くだらないことをしないで下さい」
「あれ?くだらなかったですか?僕は面白かったですよ」
 その言葉に、店主は一瞬動きを止める。
「面白かった…?」
「はい」
 花が綻ぶような笑顔のアンリ。
「何がですか?」
 眉間の皺が深くなり、こめかみに青筋が浮かんでくる店主に、アンリは更に笑顔を見せて言う。
「あなたもあんなやさしいことができるんだなって思って。しかも聖ちゃんでしたっけ?可愛いですよね」
「…アンリ、あれほど人の思考を覗くなと言ったのが分からなかったのですか。私にも我慢の限界があるのですよ。…お前には、お仕置きしなくてはいけませんね」
「え…」



 ほんの冗談のつもりでやったことが、どうやら店主の逆鱗に触れたようだ。
 青ざめるアンリと、真っ黒なオーラを全身から放って楽しげに笑う店主を見て、店の古い者達は、

 どうかこの店が潰れませんように。そしてこの馬鹿な死神が無事でいられますように。

 と祈った。

 おわり
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