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黒い薔薇。

 古い町並みに馴染むような店構えの骨董屋に、黒い薔薇が届いた。
 届いたと言うよりは、ふと店先に出た店主が見つけたのだが。かすかな気配の残り香を感じた店主は、小さく笑って、花束になっている薔薇を手にしてその穏やかな瞳に漆黒の色を映し出した。
 夕闇の中に溶けてしまいそうな色は、厳かなようで退廃的で妖艶。それでいて店主の中にある記憶を呼び起こす。
 その昔、遠い昔におきた事を、思い出して店主は溜息をついた。
「こんな事をするのは…ハクですね」
 小さな声で呟いて、店の中に入った店主は、紺碧の細やかな細工の施された花瓶にその薔薇を飾った。細い指で丁寧に花瓶に移していたとき、うっかりして薔薇の棘で指を引っ掛けてしまった。ちくりとした痛みと、間を置いてふわりと滲んだ赤に、思わず眉間に軽く皺を寄せた。そのまま綺麗な形の唇にその指を食む。
 口の中に僅かに感じる自分の血の味。店主はまた溜息を零して、思い出に浸った。



 まだ自分が下界に下りたつ前、とある青年がいた。黒髪の少し陰のある青年が、ハクに心を奪われてしまった。
真っ白な輝く鱗を持つ美しい白龍の姿と、人になった時の艶やかな瞳と相反するような無邪気さのある愛らしい容姿。それは店主でさえ見とれるほどに美しく、四龍の中でも抜群の見た目であった。
 それを見た人間の青年が、一目で恋をした。人外のハクの美しさは人間一人の心を掴むなど造作もない事。いつもの事だと店主も思っていたが、その時は少し違っていた。
 ハクもまた、青年に心を奪われたのだった。だが、所詮龍と人間。たいして気にも留めていなかった当時の店主、四龍を治める黄龍(こうりゅう)は、黒龍(こくりゅう)や青龍(せいりゅう)、赤龍(せきりゅう)や他の者の相手もしなければならず、美しく聡明なハクに対して目をかけていなかった。
 しかしそれが災いとなった。いつもなら賢く周りと調和できるハクが、青年と共に生きたいと店主に進言してきた。恋に溺れたその感情はとどまる事を知らず、店主も手を焼くほどに情熱を迸らせる。深い深い青年との心の結びつきに、ハクは次第にその純粋な心を病み、体を壊して命を削り始めた。
 西を守る龍であるハクを手放すことは、禍々しい者を氾濫させる事であり、恋を理由に下界に下ろしてやるにはあまりにも代償が大きすぎる。可愛い我が子のようなハクの気持ちも分からないではないが、四龍の上に立ち、世界を見守る立場だった店主はそれを受け入れる事もできなかった。
 その時だった。事態が急変したのは。
 災いを何よりも好み、それに悦楽を感じる事を生き甲斐にしている黒き龍が、ハクの想い人を殺した。あっさりと一瞬で命を奪い、亡骸さえその腹の中に入れてしまった事に、ハクは狂乱して泣き叫んだ。
「あの時は本当に可哀想でしたね…」
 思わず店主は目頭が熱くなりかけて、大きく息を吐き出した。
 ハクの怒りと悲しみは地の底から沸き上がり、空を荒れさせた。絶え間なく雨が降り、雷(いかずち)が駆け巡り、大地は怯えて裂けた。そして禁忌とされている龍同士の争いにまで発展しかけた。
 それに店主が仲裁に入り、黒い龍の爪を五本から三本に減らし位と自尊心を貶める事で、なんとかハクに鎮まってもらったのだ。
 亡骸さえない青年の供養を店主自らしてやり、ハクの傷ついた心に癒しを施した。何日も何日も泣くハクにずっと寄り添い、その感情をぶつけさせて吐き出させてやる事しか、店主には出来なかった。
 それから、かなりの日がたち、ある日ハクは黒い薔薇を大地に育て始めた。真っ黒な、漆黒の絨毯のように広がる薔薇を空から見た店主がハクに理由を問うと、ハクはその艶やかな瞳を潤ませて答えた。
『私の心が晴れる事はありません。この先、これほど愛する事ができる人には巡り会いません。だから、あの人が好きだった薔薇を育てます。でも赤い薔薇は私には育てる事ができない。あの人を思い出すから。黒い薔薇は私の気持ちの象徴です』
 そう言って、度々下界に下りていくハクを、店主は黙って見ることしかできなかった。


「この薔薇は、ハクの、私に対する戒めでしょうね」
 あの時もっとハクに向き合っていれば、青年も死ぬ事はなかった。
 それは店主の悔やみ。
 花瓶に飾られた黒い薔薇を見て、店主は悔いても仕方のない記憶に重い溜息をついた。
 その時、冷たい空気と共に気配を感じて振り返る。
 視界に飛び込んできたのは、大きな鎌を手にした青紫の瞳の死神だった。のんきな様子でふらりと現れたアンリは、店主を見るとあどけない表情で軽く頭を下げた。
「こんにちは」
 にっこりと笑うアンリは、テーブルの上にある薔薇を見て、ふと笑顔を顔から遠のかせた。綺麗な青紫の瞳が一瞬店主も驚いてしまうほどの暗過ぎる闇を見せた。
「…どうかしましたか?」 
 怪訝な様子で聞く店主に、アンリははっとした様子で慌てて、またその顔を綻ばせた。
「いえ…。どうしたんですか。それ」
「これですか?私の古い友人が持ってきてくれました。お前の好きな薔薇ですね」
 何気なく言った言葉に、アンリは顔が強張るのを隠しきれないようだ。僅かに震える睫毛を伏せて視線を外す。
「…同じ薔薇でも、黒いのは嫌いですか?」
 店主の問いかけに、アンリは小さく溜息をついて頷いた。それから、無意識だろう。右手に持つ鎌に視線をめぐらせて、濃い緑の蔦を細い指でそろそろと辿るように撫でた。
「黒い薔薇は苦手です…母を思い出すので」
「…お母様、ですか?」
「はい。僕の母が好きだったんです。黒い薔薇…」
 今にも泣き出してしまいそうなアンリに、それ以上は店主も聞けなかった。怯えた色を見せる瞳に店主は優しさのこもる視線を止めて、ふんわりと微笑んだ。
「今日は何か用事でしたか?それともまた暇だったのですか?」 
 少しからかいの色を含んだ声に、アンリはぎこちなく微笑んで言う。
「暇だったので、僕の大好きな貴方に会いたくなったんです」
 冗談っぽく答えたアンリは、無理矢理とでも言うように最近起こった身の周りのことを話した。店主は黙ってその話を聞いては時々笑いを零す。
 夜も遅い時間になるまで、二人は話を繰り広げて穏やかな時間を過ごした。
 深夜を過ぎる頃、店主は小さな欠伸をしてアンリに言う。
「今日はもうこれくらいにして帰りなさい。どうせまた来るんでしょうから。それに私もそろそろ寝る準備をしなければなりませんからね」
「えー。もうですか?…泊まっても良いですか?」
 唇を尖らせて拗ねるアンリは、思い立ったのかそういって無邪気に笑った。
「お前がここに?申し訳ありませんが、貞操の危機を感じるので泊める訳にはいきません」
 呆れた様子で言った店主は、突然にやりと意地の悪い微笑みでアンリを見た。
「…なんですか。その顔は」
 アンリが明らかにビクッとして店主を見た。店主はその形の良い唇から艶っぽい声で問う。
「良い入浴剤が手に入ったのですが…一緒に入りますか?」
「…は?」
 一瞬何を言われたか分からなかったアンリが間抜けな返事をした。しかしその直後一気に顔を赤らめてしまった。青白いその顔を、火が出そうなほどに赤くして、何か言いたげに口を動かす。
 それを見た店主は堪らず吹き出した。声を立てて笑いながら立ち上がり、アンリに向かって言う。
「お前が何か沈んでいたようだったので、冗談を言ったまでですよ。今日は私も少し考えたい事がありますので、一緒にお風呂に入るのはまたいつか、という事にしておいて下さい」
「………貴方という方は…」
 それ以上言葉が出ないのか、アンリはがっくりと肩を落として、闇に飲まれるように消えていった。
 静かになった店内で、黒い薔薇がひっそりと店主を見つめている。
「ハクはまだ、私を許してはくれないのでしょうね…」
 ひたすらに純粋なハクを思い出して、店主はやるせない溜息をついた。
 誰かを憎む事を教えてしまった自分のふがいなさに、どうにもやりきれない思いで。
 


おわり
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