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聖堂、ある夏の日の悪ふざけ。

「これはありがとうございます」
 夏の日差しの降り注ぐ細い路地に、穏やかな声がした。紫の暖簾のすぐ前で、着物姿の男が一人の女性と話をしているようだ。長い髪を後ろでゆるく結い、優しい目元が柔和な雰囲気に一役買っている端整な容姿の男は、骨董屋『聖堂(ひじりどう)』の店主。
 近所に住む女性が田舎に帰っていたということで、地酒をお土産に持ってきてくれた。大きな一升瓶を、店主の細い腕が軽々と持つ。背の高い店主を見上げながら、女性は見とれるようなうっとりとした表情で話しかけた。
「お酒は嗜みますか?」
「はい。それほど強くはありませんが、好きですよ。特に日本酒は」
「そうですか。それは良かったです。お口に合えば良いんですが…私の実家は酒蔵なんです。手前味噌で申し訳ないんですが」
「それはまた楽しみですねぇ。ご実家の味、堪能させて頂きます」
 にっこりと、それはそれは優しげな顔で、店主は女性に頭を下げた。女性は思わず溜息を零し、それに慌てて顔を赤らめたまま、店主にお辞儀をして聖堂を後にした。
 にこやかなまま女性を見送った店主は、嬉しそうな顔で店の中に入り、ふと見渡した。古めかしい者達が溢れる店内には、良いも悪いもあらゆる魂を宿した品々ばかり。店主の腕の中にある一升瓶を見て、それぞれがなにやら話をしている。
「あなた方も欲しいですか?…そうですね、私も久し振りですし振舞って差し上げます。ですが冷やしてからですよ?ですから、夜まで待ってくださいね」
 小さく笑って、店主は日本酒を店の奥へと持って行き、手ごろな大きさの桶に水と氷を満たすと、そこに静かに一升瓶を浸した。
「吟醸酒ですから、あまり冷やすと風味が落ちますからね。これで良いでしょう」
 店主は独り言を零すとまた店に戻り、お客の来ない店の番をした。


 一人だけ、お客のあったその日の夕方、夏の太陽がようやく傾きを見せ始めた時間に、聖堂を閉める。紫の暖簾を引き込み、照明を最低限に落とした店主は、薄暗い店の中で、白磁の器に酒を注ぐ。いくつかそれを並べて、店の中の古い者たちに声をかけた。
「さあどうぞ。あぁ、良い香りがしてますねぇ。これはなかなか楽しみです」
 顔の綻ぶままに店主も自分の為に酒を注ごうとした。古い者たちは姿こそ見せないが、それぞれに芳醇な香りを楽しみ、そして味わう。いつも以上に騒がしい店内に、不意に冷たい空気があたりを満たした。
「おや」
 店主がその気配にいち早く気付き、現れるだろう相手を思いくすりと笑った。視線を向けると、店の端の方に黒衣がふわりと立ち上るごとく見え始めた。急速に濃くなったそれは自らの纏う風にたおやかに揺れている。
 黒に近い青の髪の毛と、青紫の美しい瞳、青みを帯びた白い端整な顔に、妙に血色の良い唇がにっこりと弧を描いている。右手に持つ大きな鎌には、変わらず薔薇の蔦がからみついていた。
「こんばんはぁ」
 あどけない顔で幼ささえ醸し出す笑顔を見せる黒衣の死神、アンリが挨拶をした。
「はい、こんばんは。今日も暇だったんですか?」
「いきなり失礼な事を言わないで下さい。今日は忙しかったですよ、これでも」
 アンリは言われたことに少しばかり拗ねた様子で返した。そのまま店主に歩み寄り、その綺麗な手元を覗き込む。
「お酒ですか?貴方が飲むところなんて見たこともないですが…」
「そうですか?私だって飲みますよ。最近は体を労わってますのであまり飲んでいませんが」
「………年寄りくさいです、ご主人」
「…自覚はありますが、人から言われると傷つくんですよ、アンリ」
 むっとしたような顔で店主がアンリを睨むと、アンリは嬉しそうに笑って、店主の顔に自分の顔を鼻先が触れるほどに近づけた。
「怒っているあなたの顔は本当に綺麗ですね。堪りません」
 間近に見える青紫の瞳に、悪戯っ子のような光を湛えて妖しい笑顔で言うアンリに、店主は大きな溜息をついて、端正な顔の眉間に皺を寄せると、その青白い頬を軽く叩(はた)いた。
「いたっ」
「お前の感性はどこかおかしいのですか。まぁおかしいから馬鹿なんでしょうけど」
 まだ近くにいるアンリを押しのけるようにして離した店主は、眉間の皺を指で解す仕草でちらりとアンリを見た。
「あんまり馬鹿っていわないでください。それこそ傷つきますから」
「馬鹿に『賢いですね 』と言う方が傷つけるでしょう。そんな事も分からないなんて底知れない馬鹿ですね」
「………なんか当たってるだけに悔しいです」
「自覚のあるところは褒めて差し上げます。お前も飲みますか?」
 長い睫毛に囲まれた茶色の瞳を意地悪げに細めて、店主はアンリに問う。
「はい、遠慮なく」
「では、裏庭に出ましょうか」


 店の奥、書斎や納戸として使っている部屋の横の廊下を進むと、古い町屋に良くある箱庭に出る。縁側で二人並んで腰を下ろすと、互いに杯を手渡し静かに合わせた。
 宵闇が広がってきた空は美しく、風が緩やかに通り抜ける日陰である縁側は、緑のおかげも合って涼しく目にも穏やかだ。
 適度に冷えて、香りと味の引き立った酒をそのほっそりとした喉に流した店主は、整った顔を綻ばせて満足げに頷いた。
「これはまた美味しいですねぇ」
「本当ですね。僕はあまり日本酒は得意ではありませんが、これなら飲めます」
 アンリも同じだったのか、にっこりと頷いてあどけない笑顔を見せた。
「おや、そうですか?お前は笊(ざる)で何でも良いのかと思っていましたが」
「またそんな事を言うんですか?僕を何だと思ってるんですか」
 アンリは手酌で酒を足すと、ぷっと頬を膨らませるようにして店主を睨んだ。しかし何気なく気遣いが出来るのか、目ざとく店主の空いた杯に目を配り、そのまま酒を注ぐ。
「私がお前の事を?馬鹿な子だと思っていますよ。それだけは譲れません」
 長い睫毛を伏せて酒を口に含むと、店主はにやりと笑って言ってのけた。それにアンリの顔がますます拗ねたようになる。青紫の瞳で上目遣いに睨む様子はいつもより幼く見えて、端整な顔が子供のようだった。
「僕これでも良い位の神なんですけど…」
「そんな事は良く知ってますよ。初めて会った時からお前は神じゃないですか。しかも当時から馬鹿でしょう」
「…もー!だから馬鹿って言わないでくださいっ。貴方は僕をいじめて楽しむのが趣味なんですかっ」
「まさか。可愛がっているのが分かりませんか?」
 店主はやや憤慨するアンリに、余裕の笑みで言葉を返す。それにアンリがその青紫の瞳を見開いてぽかんとした。
「なんですか、その反応は」
「…いえ…僕、可愛がられてるんですか?」
「はい?」
 アンリのあまりにも気の抜けた声に、店主もまた気の抜けた返事をした。アンリはそのまま青紫の瞳で店主の茶色の瞳を見つめて、小さく言う。
「貴方は僕の恩人です。ですが、 貴方は僕の事を許していないかと思ってました」
「…確かに、過去のお前の事は許していませんよ」
 静かな、静か過ぎる声で店主は返す。アンリは僅かにビクッと震えて、それを振り切るように杯を煽った。続けて酒を足す。店主はそれを横目に見ながら、自分もまた酒を味わった。辛味と香りが心地良く喉を通り、酒の余韻が気持ち良く体を浮遊する。
「お前の過去を許すつもりはありません。それは未来永劫です。お前のした事で、一人の可愛い子が亡くなりましたね」
「…はい」
「あの時お前を殺す事もできたのです。ですが、そんな事をしても何も変わりません。お前を解放してしまうだけで、残された者が苦しむなど馬鹿の極みではないですか。だから、お前は生きて苦しまなくてはならないのです。あの時も私は同じことを言いましたが、それは今も変わっていませんよ」
「はい」
 アンリは黙って店主の言葉を受け入れる。その昔、自分の愚かな行動で亡くしてしまったあまりにも大きな存在に、涙が滲みそうで俯いて目を閉じた。
「アンリ」
 ふと、優しい声が聞こえた。心に染みるような穏やかな店主の声に、惹きつけられるままにアンリは顔を上げる。アンリの視線の先には、優しい目元を更に優しくしている店主がいた。
「お前が苦しんでいる事は、私も十分理解しているつもりです。お前の中に今もいる大事な子も、それは分かってくれています。だから、私はお前を可愛がるんですよ。なくした者の大切さを分からないほどの馬鹿ではないはずでしょう?そこまでの馬鹿なら、私はこの店の敷居は跨がせません」
 そして、店主は溜息をつく。
「それなのに、こんな私の愛情を分からなかったとは……お前の馬鹿の加減は理解できません」
 目の端でアンリを捉えながら、店主は手酌で酒を注いだ。
 やはり弱くなってますねぇ…年を感じます。
 昔よりも確実にまわる酒に、自分で呆れてしまう。しかし、店主もアンリもかなりの速さで酒を酌み交わしているのだが、本人には全く自覚はないらしい。
「でも僕が貴方に触るといつも怒るじゃないですか」
「……お前の言っている意味が分かりません」
 アンリの突然の言葉に、店主はあからさまに眉間に皺を刻んだ。
「あ。すみません。だから、僕が貴方の触れるといつも怒るのはなぜですか?」
「………馬鹿ですかお前は。私は今日お前に何度馬鹿だと言えば良いのでしょう…眩暈がしそうです」
 目頭を細い指でつまむようにして、店主は呆れ返った。
「僕は好きな人には触れたいです。それは男性でも女性でも変わりません。触れると安心しませんか?」
 アンリは幼い子供のような事を言い出した。酒がまわって来たのか、白い頬にも赤味が差している。
「多分、お前だけですよ」
「そうですか?そんな事ないと思いますけど…」
 店主の賛同が得られず、納得のいかないアンリはまた酒を煽る。店主はクスクス笑いながらそれを見て自分も酒を含んだ。
 あたりに闇が立ちこめ、小さな灯篭の灯りが箱庭に幻想的な空気を纏わせる。それを眺めて、しばらく何も言わずに二人は酒を酌み交わした。
 こんな風にアンリと酒を飲むなど初めてのことで、店主は妙にそれがおかしかった。
 昔から自由気ままなこの死神は、過去に自分の気持ちにも気付かず大切なものを失った。それを、店主は全てアンリの体に刻み込み、アンリを殺さずに生きろと言った。生きて苦しむのが、亡くなったものに対する謝罪であると。
 それをアンリは忠実に守っている。何も文句も言わず、永い、闇雲に永い時間を延々と生き続けている。だから店主は、この馬鹿でどうしようもない過ちを犯した死神を可愛がる。もしアンリが何かまた馬鹿なことをした時は、自分が責任を取ると心にも決めている。
 青紫の瞳は、本当に馬鹿がつくくらいの純粋さも秘めている。そこも店主がアンリをかまう理由でもあった。
「お前の言う事が世間一般なら、私も本気を見せなくては失礼になりますね」
「……は?」
 店主の突然の言葉に、アンリはまたぽかんとした顔でその端正な顔を呆けさせた。店主はにっこりと、妖しさしかない笑みを浮かべて、アンリと自分の間にあった酒を横にずらして、すいとアンリとの距離をつめた。
「ご主人?」
 何がなにやら分からないアンリは、ただその行動を見るだけだ。店主は何も気にならないように、ふわりと長い腕を回してアンリを抱きしめた。長い腕で、その黒衣の体を抱きしめて、細い指でアンリの艶やかな黒に近い青の髪の毛を梳く。しかも、時々うなじに悪戯するように指を掠めた。
「……は?え、え、え?ちょ…え?」
 アンリは急に触れられ、しかもすっぽりと抱きしめられてしまい、青紫の瞳を何度も瞬かせながら固まってしまった。自分の頬に触れる店主の柔らかな髪の毛が、『サラサラとしているな』とか、ぴったりとくっついた体に『細いなぁ』とか、訳の分からない事ばかり考えていたが、ようやく脳が今起きている事を理解した。
 途端、大きく目を見開き、酒以外の理由で顔を真っ赤にした。
「あの…えっと…え?…………ええぇッ!?」
「なんですか、静かにしてください。鼓膜が痛いです」
 焦ってしまって腕を解く事すらできないアンリに、店主は妙に艶を含んだ声で囁いた。耳元に店主の声が響き、アンリの思考は真っ白になってしまう。
「いや、でも…何ですか?…はぁ?…これは…何ですか?え?…え?」
「お前が言ったのですよ、好きな人には触れたいと」
「でも、貴方は男です、し…」
「性別は関係ないようなことを言ってませんでしたか」
「た、確かに言いました…けど」
「けど、何ですか。そもそも神であるお前は男でも女でも構わないのでしょう?」
「は?そんなっ…ろ、露骨な事を言わなくても良いじゃないですか。それに…もし…たとえそうでも、僕にとって貴方は特別すぎて、そんな事出来ませんよっ」
 アンリが思わず至近距離にある店主の顔を睨んで言うと、店主が面白そうに笑って、その瞳に更なる妖しい光を湛えて微笑んだ。店主が顔を近づけて、唇すら触れそうな距離に迫り浮かべた妖艶で美しい笑みに、アンリの心臓が跳ね上がる。
「私はかまいませんよ?」
「…ッ!!!………」
 たったそれだけの言葉が、アンリの全身を真っ赤に染め上げて、完全に息の根を止めた。もう何も考えられないように燃焼してしまったアンリの思考は止まり、店主の顔を見つめたまま、何も言えない。
 それに店主は満足げに、腕を解き、また先ほどと同じように距離を取った。脇に置いていた杯を手にすると、優雅な仕草で口に含む。
「…いかがでしたか?私の本気」
 まだ艶を含んだ瞳がアンリに向けられる。それを受けた死神は、赤い頬のまま、縁側に倒れるように仰向けに転がった。
 黒に近い青の髪の毛がふわりと広がり、細くて長い腕を広げて大きな息を吐きだし弱々しい声で答える。
「………参りました…」
 がっくりと顔を傾け目を閉じたアンリは、顔どころか首まで赤くなっている。
「そうですか、それは何よりです」
 店主は笑うのを堪えながらアンリの方は見ずに言った。その顔はアンリからは見えないが、今にも吹き出しそうだ。
「反則ですよ…そんなの」
「何がです?」
「…いいえ。なんでもないです」
「そうですか…まだ、お酒残ってますよ?」
「もう飲めません。…貴方のせいで」
 ふてくされたアンリは小さくそう言って長い睫毛を伏せた。店主はちらりとそれを見て、幼子を見る母親のように温かい眼差しで、アンリに向かって言った。
「今日はそのまま泊まっても良いですよ。私も冗談が過ぎましたから、お詫びです。勿論部屋は別で用意しますから」
「ぜひ…よろしくお願いします…貴方と一緒に寝たりなんかしたら、僕は冥府の神に会いに行かなくちゃいけなくなりますから」
「………お前は私を何だと思っているのですか。本当に馬鹿ですね」
 呆れた様子で言った店主だったが、その声音はとても優しいものだった。


 (おわり)


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