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友人、恋人、下僕、お好きにどうぞ。 (8)

「シエルは愛情と信頼の妖精です」
 笑顔を湛えたまま、店主は静かに語る。
「昔、人間の欲は本当に小さなものでした。慎ましくて静かに、自分の家族や周りのものを愛し、ともにいることを幸せに感じる。その頃は、シエルのような妖精はたくさんいました。でも、純粋でささやかな欲とともにこれらは死に絶え、代わりに生まれたのは汚い欲。私の店に来るお客様は財を求め名声を求め、人を貶める欲。そんな方ばかりになってしまいました」
 淡々と語るその瞳は、悲しみとか諦めとか、呆れとか、そんな感情を滲ませる。
「だから、シエルは売れ残り、長い間ここにいたのですよ。ね?シエル」
 凜子の指にある、光をなくした指輪を眺めて店主は語りかける。
 指輪からは何の反応もない。シエルは今店主の手によって中に閉じ込められているからだ。
「だから貴女がシエルを選んだ時は驚きました」
「そうなんですか…?」
「はい。この方は傷ついていらっしゃる。誰よりも信頼を否定して愛情の存在を否定してるのに、心の中ではそれらを渇望している。渇望しすぎて自分では気づかない…それで、無意識にあなたは指輪を手に取った」
 凜子の心の殻を、店主はそっと剥がしていく。決して痛みは感じさせないように、柔らかい手つきで、守るように。
「辛い思いをなされたのでしょう?まだお若いのに、誰も信じられなくなるほどの思いをしてしまって沢山泣いたのではないでしょうか。だから貴女は、私の店に来たのですよ。辛くて悲しいことから、一歩前に進むことを望んで、でもできなくて迷路の中を迷っていたんです。私は貴女の傷を癒してさし上げることはできません。でも、それをお手伝いすることはできます。ここにある品とあなたを結ぶことが、私のできることです」
 シエルと貴女を結ぶこと。
 店主の声が心に直接聞こえた気がした。
「あの、シエルもですが、あなたも一体…」
「私ですか?売れない骨董屋の主人ですよ。これ以上は企業秘密です」
 唇に人差し指を添えて、店主はニコッと笑った。
「ま、冗談はさておき、貴女にはシエルは必要ないですか?」
 ふと、真顔で聞かれて凜子は返事に困る。
 店主の表情は決して責めているものではない。でも、ここで嘘はついてはいけない、つくな。そう言っている気がした。
「シエルは貴女の望むものを持っています。貴女がまた、歩き出せるように本当に笑えるように、シエルならしてくれます。そのためならシエルはきっと何でもするでしょう。それともシエルのことを信じることができませんか?」
「……………はい」
 凜子は素直に答えた。
「私は、信じることが出来ないということと、必要ないということは違うと思いますよ」
「え…?」
「貴女とシエルはまだほんの少ししか一緒にいません。でも、その短い時間でシエルは貴女の中に入り込んだでしょう?それはあの子の持っている力が、あの子が貴女のことを愛している気持ちが、貴女を少しずつ変えようとしているからだとは考えられませんか?」
「シエルが私を…愛している?」
 耳を疑った。シエルの気持ちは忠誠心から来るものだと思っていた。でも店主の言い方は凜子が思っているものじゃない。
「シエルは貴女を愛していますよ。私の予想は外れたことないですから」
 喉の奥で楽しそうに笑って、指輪をちらりと見た。その顔はいたずらっ子のようだ。
 それから、凜子の顔を見ると、店主は一つ息を吐き、言葉を続けた。
「だから、もっとシエルに心を開く努力をしてください。頭の良い貴女なら分かりますよね。良いことに対してすぐに結果は出ないものです。それに何より、貴女にはシエルが必要です、その証拠に指輪は貴女から離れないでしょう?言葉では必要ないと言っても、心がシエルを求めているんです。シエルに愛されて、愛してみてください。そうすれば世界は変わります」
 シエルが必要。心を開く努力。
 シエルに愛されて、シエルを愛する。
 店主の言葉がグルグルと凜子の中をめぐる。
 今まで自分が求めて諦めたものをシエルは持っている。あの満開の笑顔の中にたくさん。
 くすんだ色をしている指輪をそっと指でなぞる。冷たい金属のはずの指輪が温かい。
 それはシエルの温かさなのか?
 シエル…離れたくない。そばにいて欲しい。大切で、大好き。
 体の奥から思いがじわじわと湧きあがって来て、それと同時に凜子の瞳から涙が流れた。
 声も出さずに涙をこぼした凜子に店主はそっとハンカチを差し出した。
「もう、自分の答えが分かりましたね」
 凜子は黙って頷いた。
「一緒に、いたいです。…シエルが好きです」
 やっと、手に入れた、凜子はそう思った。
 脳裏に焼き付いていた憎悪も罵声も、薄れていく。小さな小さなシエルが消してくれる。
 怯えきっていた自分に向き合うと、答えは単純だった。愛したかったし愛されたかった。
 それだけだ。
「シエル…ひどいこと言ってごめんなさい。許してくれる…?」
 指輪に向かって話しかける。
「もちろん、許しますよね?シエル」
 店主の言葉と同時に、指輪は閃光に近い光を発した。
「…!!」
 凜子が目を閉じて数秒もするとそれは治まり、何事もなかったかのような店内に戻った。
 でも、ひとつだけ違うことがある。
 指輪は元の輝きを取戻し、目の前にはシエルがいる。
「シエル、聞いていましたか?」
 店主の問いかけにシエルはコクンと頷いた。そして凜子を見上げる。その瞳は不安げに揺れてる。
「姫、本当に、おそばにいてもいいんですか?」
「そばにいてくれるの?」
「僕は、いたいです」
「じゃあ…」
 凜子はシエルをそっと掬い上げるように手の上に乗せた。
「私のそばにいてください」
 その言葉にシエルは一気に顔を綻ばせて、凜子の大好きな笑顔になった。
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